


T.Nさん 四十代女性
勇崎先生はいつもこのように言う。
「こうなったら、こうなって、こうしたいんだよね。だってそうでしょ。こうなるのが自然だから。そうならない方がおかしいんだよ。」
勇崎先生の独特の言い回しで身体を動かしながら先生の世界を語ってくれる。
先生は説明するのではなく語ってくれるのだ。
説明とは聞き手がわかるためのものである。
わかるとは頭で理解することである。
この塾では頭の理解とは人の進化を妨げる行為なのだ。
先生の語りは思考的な周波数にあわせようとはしていない。
人をできるだけ高い意識に引き上げるように、眠っている潜在的な意識の光に働きかけるようなものだと思う。
容赦はしないし見かけ倒しの親切心は感じられない。先生のその姿勢は求めている私にとっては本当にありがたく学ぶ事がたくさんある。
先生は身体の衝動を動きで表しながら身体感覚と独自の理論を語り続ける。
それは真の生き方を示唆するものであり、本質的な健康と人がこの人生で兼ね備えている能力を限りなく実現できる方法であり、自我を超越し意識の覚醒を促す方法だと思う。
それを語る様子には故意的にこうしようというコントロールが全くないのだ。先生の世界は流れそのものだ。言葉も身体の動きもその場の磁場でさえも生き物ように感じられる。
摩訶不思議に見える身体の動きには質の高い氣がみなぎっている。
指先から足先まで力強く光が放つように惰性の動きなどは皆無である。
この場でできるだけ頭を解放し存在し続けていると言語にできない意識レベルで明らかに何かを理解している。それを明確な言葉にするには少し時間が必要だと思う。今はあえて言葉という小さな世界に押し込めないでそのままにしておきたい。
私はこの場にいながら時には戸惑い、時には眠くなるがある時一瞬の光が放つように「そうか!」という気づきがやってくる。「そうか!」という瞬間にはすでに身体がそのように動いている。どうやら身体はそうとう賢いようだ。
思考とはすでに身体が知っている事を言語を使って状況説明しているだけに過ぎないようだ。
この二日間あきらかに頭より身体の方が優秀だということを実感した。これは私にとっては大きな収穫だった。今までは自分なりに食事、精神、身体のために気遣ってきたつもりだった。瞑想、ヨガ、自然食などそれなりに関わりつつ現代社会の発展とともに当たり前のように車、パソコン、エアコン、携帯電話に依存している自分と何かがおかしいと思っている自分もいた。
年齢を重ねるとともにじわじわと身体の調子や感覚は下降の曲線を辿っていく。
これが人生なのか?とどこかであきらめかけていたし、いつのまにかうまく呼吸ができない身体になっていた。
考えてみると私は身体の調子の悪さからここにたどり着いた。これも身体が教えてくれた事だった。どんなに鈍くなっている身体でさえも知性の光は残っていたのだ。
この二日間、できるだけ無心になって身体を動かし続けてみて身体は小さなきっかけて動き出す、そして身体とは大きな可能性を秘めていることを実感した。この気づきはこれからの課題として本気になって身体と生き方に向き合う事の大切さを教えてくれた。
■二日間で印象的だった事 改めて納得した事
・頭は邪魔!自我、思考は身体能力を阻害する。
・垂直性の重要性 垂直性は人を進化させる。
・能力や進化の度合いは身体に現されている。
・陰と陽について
・人のエネルギーの違い
・場のエネルギー 自己と他者のエネルギーの共鳴 質の高いエネルギーが扱えるようになること
・身体が生きていないと良い仕事はできない。
など
勇崎先生、森先生、和保先生ありがとうございました。
